キリスト教と幼児教育

最近は息子の幼稚園探しに奔走中です。
またも軽くやりすぎてます(はあと)


正直特に年少なんて、どこも一緒……っていうか動物から人間への調教に過ぎず幼稚園ごとの特色なんてでるわけもないという事実を実感しつつ、それなりに先生や園長先生の思い入れや保護者の方のカラーもございますので、やっぱり調べるだけの価値はあるのかなぁないのかなぁとビールを片手に思いにふけっています。


日曜に教会が併設されている某幼稚園に行ってきました。
バザーだったのでかき氷を息子と食べていると、信者のおじさま2人(酔っぱらい、娘やお孫さんがその幼稚園出身者)の「余は如何にして基督信徒となりし乎 」を伺いまして、まぁ私のおじさんに話を聞きビリティは高こうございますので、色々裏話を伺いつつ、やっぱりきっかけは娘さんやお孫さんが幼稚園に入ったことで入信し、「やっぱり、キリスト教って(ざっくり)門戸が開かれて誰でもきていいよっていうのがイイ」とか「バザーといってみんなでお酒を飲みながら楽しめるのがイイ」など若干不信心なこともおっしゃっていらっしゃいましたが、「おとうさんが楽しんでる」っていうのはよい園なんだろうなぁと思いました。


宗教のことは分かりませんが、幼児教育に付いては、キリスト教がベースになっている、というのは結構いいなと最近思っています。

  • ひとつは自由のための自律が身につきそうなこと

日本のお行儀系幼稚園はどうしても「(大人にとって)理想的な子ども像」が画一的になりがちです。前もかいたよーなきがするけど「躾がキチンとされている子」と「(一部の)大人が理想的だと思う子」は一見同じように見えるけど違います。分かんないけど日本人が同調しまくると自然に「理想的だと思われる子像」が一つにまとまってきちゃって、だから誰もあんまり違和感に思わないけど、実はすごく多様性を排除している結果になってしまっている気がするの。キリスト教系の幼稚園に行くと本当に人種とか障害のあるなしとか性格とか違っていてもそのままでおk、皆神様の子供です、と。またまたネタだろう!と思ってかかったけど、どうやら本気。違っているからこそマナーを守ろうねという方向性はいいよなぁ。

上と矛盾してるんですけど、古今東西基本的にダメなものはダメっていう事柄……やれ生き物を殺すななんだかんだっていうこととか……「なんで?」って疑問を持つのはスバラシイと思いますけど…もう何万年もそういうことになってるので「そういうもんだ」と思っていた方が時間のロスが少なくて済みますよね。あと「なんでカエルは緑色なの……?」とか……。いちいち血管ぶち切れそうになりながら口角泡を飛ばし説明するより「だって神様がお気に召さないからウフフ」「だって神様がそうおつくりになられたからウフフ」と……母になることで捨ててしまいがちな「天然風味のゆるふわモテ感」もキープしつつ子育てできそう……ラクチン!


ただデメリットとしては、やっぱキリスト教ならではのローカルルール(日曜はお祈りとかあと怖いセリフのお祈りの文言ex:死んだの死なないだの)は気になりますよね。あとどう見ても教会のスペースが大きすぎて園舎や園庭が狭そう……。