ジョーシキ養育ギプス

自分語りになりますが、雪国育ちで親も慎ましいふつうの人間なのに、イマイチ常識がありません。分かりやすい不幸な家庭内の事件もないのに(あるっちゃあるが)、「幸せな家庭ってあるのかな」と思い、親子の世代の断絶を一方的に感じる醒めた子供=ホリエモンと同じ現代社会の闇が私の心にも訪れていました。
「合理性」と「失礼」、「形式ばっている」と「まごころ」の間、情熱と冷静の間を見つけるのが21世紀型礼儀のあり方だとおもうこのごろ。4月のビッグイベントに向けて、また一つ失敗を犯してしまいました……。

これに関しては、「よく考えればそうだった」という自分のケアレスミスと、なぜそうしたかと言うと「集計上の利便性」だったんだけど、よく考えたらダメだった。はあ……。
そして現代の常識格差について。
「知っていてできなかった」ではなく、最近の若い子ちゃんには「実感として分からない」ことが果てしなく多いのではないでしょうか?
同じものを見ていても、「円ですよ」「四角ですよ」な視覚マジックに似た眩暈感……。
なるほど! そう捉えますか!一本取られた!

あたしはそういう若い子ちゃんの最たるものという部分がありつつも、(主に自分のスキをなくすため)どの世代にも失礼ではありたくない。

でも、「実感として分からないこと」が単にルーズなのか、わかんなくていいことなのか見極めないといけない。
絶対に、人が悲しくなるような旧弊には断固としてNOを(平気でどうしよもない部分の差別発言とか)。

最終的にはやっぱ知識と経験だな。

明日から、ギプス装着です。心に。