働きマンと働く女の反応

ひさびさに本宅に帰ったら「働きマン」2巻はっけん。さっそく読むのですが、出来る上にこぎれいな編集者松方にまったくシンパシーを感じず(出来ない上にすぐ弱音を吐くので)しかし、ただ業界拝見、というだけでなく営業の話やエステシャンの話など広範囲での共感を得る仕組みに。

さえめんは「営業の人の回」に感銘を受けたそうですが、わたしは「ばっくれたライターの回」をしみじみ読みました。

夢を持って入っただけに芽が出ないと辛いギョーカイの(特にライターとカメラマンは)悲しさよ。

例えば、「おいしい仕事」というのがある。ライターならインタビューとか、あと評論とか、タイアップ原稿とか。その他に「ご飯どころ100件取材(写真も取る)」など本当に疲弊し磨耗する仕事もある。「サッカーのことを書きたい」とか「美容のことを書きたい」と夢を持ってきても、芽が出ないと、学生のアルバイトみたいなことをさせられたり。予算がない雑誌などだとより顕著だ。わたしも、そんな媒体でお願いする立場だ。「もっとこういうことが書きたいんです!」といいたげな顔の人に、「テープ起こしと店取材」をお願いする。心は痛んでいるのだよ。
カメラマンはより大変。スタジオカメラマン、カメアシ(4年とか)、デビューしても売れるとは限らない。すごい倍率をくぐりぬけた一流カメラマン以外は、「自分の好きなものだけを撮って仕事にはならない」。
また、だれのアシスタントにもならず、独立するのはより難しい。ファッションの世界は狭いので「○○さんのアシ」という素性感でスタッフィングしがちなのだ。「あいつより上手いのに」と悔しがる人がいてもそれはシステムの違いだからどうにもならん。
「もっと海外の取材とかに連れて行ってくださいよ」と言われても、お願いは「エステ撮影5件」とか。でも、こっちもリスクは取れないので、心の中で却下する。それが仕事だと割り切っていない人ほど辛いだろうなと思っちゃう。

夢に近いからこそ、苦しく、実力がなければ人格がないくらいの扱いをされるのがギョーカイの深い闇か。あと一応写真と文章は誰でも書ける(CGとかは一段ハードルがあるとか言う意味で)より抜けられない闇なのかもしれない。

と、ギョーカイの端っこで思ってみるテスト。