エレクトリカルパレードは人生の走馬灯

日曜は、父母と旦那とディズニーランドにいってきた。父母がディズニーに行ったことがないという話を受けてです。
かなり効率よく回り、俺100点満点!と悦に入っていたらどうやら父母にはハードすぎたらしく、夕方前に「……もう帰るね」と言われてしまい反省しきり。その後お変わりないかしら?


という訳で旦那様と2人でエレクトリカルパレートを見ていたら。なんか色々今までのことを思い出してしまい、三角座りで軽く鬱になりました。

次くるときは、きっとあたしは”お母さん”でしょう。

そのときあたしは、自分が乗りたいからってわがままを言ったり、疲れたからと荷物を男の人に持たせたり、できないのです。

人生において、ディズニーランドは、5つのステージに分けることが出来ると思います。

1・両親か祖父母に連れて来てもらう。ファーストインパクト。

2・ダブルデート、東京見物などで友人のグループと

3・学生〜若いうちのデート、女友達と傷心旅行

4・祖父母とか子供を連れてくる

5・孫と来る

それぞれのステージの回数は違うかもしれないけれど、大体こんなものです。

1・で初めて連れて行ってくれた祖母は、もうこの世にはいません。その次の、中学生の私を筆頭に小学生の妹たち2人を連れて日帰りで連れて来てくれた母は、今思えば、何を思うところがあったのでしょうか。そんな風に遊園地に連れて来てくれたことは、人見知りで家の中にいることが好きな母にとって最初で最後でした。慣れない東京。初めて入った「ホーンテッドマンション」は、なにもない田舎で「CUTIE」とか読んでFMとか聞きながら小さな想像力の翼をよちよちと不器用に動かしていた多感な中学生の私にとって、めまいするような飛び越え感の体験でした。



学生のときは、デートにディズニーは、踏み絵みたいなもんでした。夜遊びして昼はだらだらと起き、カフェなんかでご飯を食べて、また飲みにいくような絵に描いた学生の恋愛において、ディズニーランドに行くというのは、「ちゃんとつき合う意思確認」だったり、「ださくて乙女なあたしを見せちゃう」ことだったりでした。大体炎天下、アトラクションに乗るのに3時間も待っていて、疲れていて、でも楽しいなんてなんとなくつき合ってる程度の覚悟ではまず乗り越えられませんからね。例外が一件(ただチケットにつられた)あるけれど、やっぱり好きでつき合ってる彼氏としか行かなかったな。早起きとか大変だったけどさ。

そして傷心旅行。失恋してどん底マーチだった私を友達が連れ出してくれたのはやっぱりディズニー。田舎者にとっていつまでもそれは夢の国だから。今思えば本当にありがとう。そしてなんて可愛いあたしたち。ただ、弱り切った心に刺激が強すぎで危うく夢の国から帰って来れなくなるところだったな。ぬいぐるみなんて絶対買ったことのないあたしが珍しく買っちゃったミッキーのぬいぐるみは、ことがあるたびに弱い自分を忘れないようにととっておいたけど、こないだ引っ越しで捨てた。弱い自分は常に側にいるとやっと気づいたので。

そして昨日は家族のディズニー。父が「きっとこれが人生最後のディズニー」と冗談を言うんだけれども、たぶんそれは本当のことでやっぱり悲しくなった。冷静に考えれば、一回きりって物事はもっと多いはずなのだけれど。


中学生、小さい子供を連れた家族、デート、おじいちゃんおばあちゃん。ディズニーの客層は、そのままリアルな日本の家族すぎて、あれはあたしの5年後10年後、夢の世界の閉塞感。現実がきしんで悪夢のような電飾の世界であたしの人生が安っぽく盗まれているようで少しだけ、焦りました。

楽しかったわディズニーランド。


あたしのすまい、東京渋谷区、帰って来たらほっとした。

(次はシーだ)