「途切れ時間の夢」

先日撮影にわが家を使った。
といっても、素敵なわが家紹介ではなく、簡易スタジオを作りこんでちまちま撮影したのである……っていう節約術なのである。(悲しい)


撮影は西郡友典さんという人。天然生活、スタジオヴォイスの表紙などで活躍中。石田衣良の文庫の表紙なども。


あたしは仕事を一緒にし始めて風景とかポートレイトの類の作品しかみていなくて、先日編集部に遊びに行ったときに、初めて写真集を見せてもらった。

作品は以下。
http://www.rocket-jp.com/gallery/exhibition/detail.jsp?exhibitionCode=20030516


http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/gallery/2001/tomonori_nishigoori/index.html

17歳から21歳の自分の彼女(会わなかった時間もある)を撮りためた甘酸っぱい作品である。

見た後に「ナナナンキリコ」に似た感じだな。

って思ったら、

帯のコメントが本人でしたね。


そして、アラーキー師匠の毒気を抜かれたコメント

束の間だけど愛されちゃってるなぁこの男は、だから、タイトルが「途切れ時間の夢」なんですね。この人はピュアですよ、だからこういう写真が撮れる。青い空に日付が入っているなんて、最高です。

を見よ。

頑固で、力強さを手に入れたピュアってのは、師匠さえもハイいいですねと言うしかない、陳腐だとか女々しいだとか言える隙を与えない。

仕事のときの彼の写真はとても中立的で完璧な構図空気感と色彩をもつもので、とてもギャップがあった。


出来れば写真集全部の作品を見てほしい。
ちょっとだけ、てかかなり、鬱な気持ちになるから。

10代の恋愛というものは多くの場合実らない、お互いの若気の至りに窒息して終わるものである。

「途切れ時間の夢」というタイトル通り、おぼろげで夢のようなとぎれとぎれの記憶。キリコ氏のコメントのように、大体それは洋タバコの銘柄とかシングルの鉄パイプのベッドやユニットバスや思い立って出かけた海や自意識や将来の不安(夢)などで構成されている。

友達と思い出話をしたり、写真をみたりして、思い出す記憶があるが、それ以外の既に忘れてしまったほとんど記憶にどきっとさせられる。(西郡さんはコメントで、「ベタ(写真のベタ焼きというサムネイルのこと)を整理していて、またこの子に惹かれている自分を発見しました」と言う。写真家は、いいなあ。)
別れた10代の恋人の記憶なんて死んだ人のそれと同じようなもんだ。


当然ながら死んでいないので、ときどきぬらりと妙にその存在感が立ち上がってきて気持ち悪い思いをするのであるよ。

ただこの写真集=途切れ途切れの日常の記憶は、切ないけれど不幸ではない。つかの間だけれど、与える愛と与えられる愛の完全な均衡。それが救いであるような気がする。


渋谷系岡崎京子ナナナンキリコ常盤響イエローUFOピチカート、そんな90年代の鬱を味わいたい人に(いるのかそんなの)。

途切れ時間の夢途切れ時間の夢