私の中のよからぬあれ

まあギョーカイで正式にはどう決まってるのか分かんないけど、自我とかアイデンティティみたいなものに目に見えるものの上で境界を引くとしたら、自分の体と外界との境界と同じになると思う。
私にしか分かんないキモチとか、自分らしさは、私の体に満たされているのであってだから他人には分からないし、自分探ししてもっと充実させないといけないし、このスペシャルな儚い思いを誰かに共感してほしいからブログを書く……なあんて深夜乙女チックな方向に思考が流れると、腹の赤子がどすどすと蹴ったりしはじめて。。。。

最初に胎動を感じたときは、正直言って怖かった。

私みたいに内省的で抑圧的で自己実現系の職業に就いちゃってかつきまぐれでひねくれ者で家族的なものが嫌いな女でも、子供を欲しいと思う理由は「子供というものが好き」とか「他人のお世話が好き(はあと」ってメンタリティの女子とはまた違う風にあるし、違う風に愛してもいるから心配はご無用なのだけど、色々巡らせてるときにまー赤子が暴れている、そんなときに「ママが考え事してるの心配してるのね☆」とももちろん思えなく、ふつーに私の体に他の人が入ってる!キャー!(なんていうの?「おかーさんまたあたしの部屋勝手に入ったでしょ!」(もしかしたら日記も読まれてるかもしれない……サイアク!)っていうののもっと踏み込まれて元も子もない感じ。どんな感じ?)
と思うとなんか自分がどうこうとか別にないのと一緒だわと我に帰る事ができて非常にありがたい。
自意識過剰だったりやたら他人は自分を分かってくれないと思うなど乙女をこじらしがちの女性には、出産とゆ−のも一つの対処法かもしれない……。

「何を考えているか」ではなく「何をしたか」くらいの単純さで私は自分を認めてもらおう。
悩める内面を人様に見せていいのは作家と哲学者だけだよ。それで飯喰ってんだ。……と……。

なーんて我が子を腹の上からなでなでしながら考えている。

そんな子どもも大きくなり、私の外でなにか思考をする訳だけど思春期になにやらごねごね言い出したら、「そんなのはおかーさんも考えたし昔の人もいっぱい考えて大人になって来たのだからとりあえず本でも嫁。読み尽くした上で答えが見つからなかったら寺へ行こう」と言ってやる。やさしく。