「自分探しが止まらない」を速読して

「自分探しが止まらない」を速読で読みました。
ゆるく感想を書くので笑って許してください。
そして自分のことはロハス(笑)とか言ってる手前、棚に上げますこと許してください。目線は上からでも下からでもないです。目線とかないです。

……そもそも、古くは、
「ドリカム」などを「空も飛べるとかいいだしそうなポジティブな女像がイヤ……空は飛べねえ!」とか、「あいのり」(P17あたり参照)も「とりあえず海外で恋愛する前に日本で仕事してほしい」とかの理由で……すっごい嫌いだったり……あと「てっぺん」系の外食チェーンでバイトをはじめるものの、ついていけなくて制服借りパクして逃げたり(P167あたり)……、本屋の背表紙がピンクだらけで「セレブ」とか「ハッピー」とか「愛され」が多用してあるコーナーに火をつけたくなったり……、まあちょっと一部脚色だけど、読者としては結構いい層だと思ってました。目次見るだけで嫌いなもの並び過ぎw。ただいい層っぽすぎて、真意を掴みきれないかなっていうかしたり顔になって以上、となるかもみたいな危惧も若干あったりして。

以前ね、新興宗教とか自己啓発セミナーについて、嫌い嫌い言ってたら
「何がどういけないの?」みたいなことを聞かれて、確かにその人にとって救いになればいいことだし、「違法性がある」というような揚げ足取りはなぜそれが嫌いかっていう根本的理由ではないんだよなーと思って。自分にだって、弱いところはあるし、克服したいと強く思う。生きて行く上で「自分探し」とか「やりたいこと」というものにまっすぐに向かい合えないのはあまり素敵なことではないはずだ。

そして思い出したのが、中央公論かなにかで玄侑宗久が誰かと対談をしていた内容ですよ。彼は、宗教というものは単に現世利益だけを求めるもんじゃねーとか、あの……もっと納得すること言ってたんですけど忘れてごめんなさい……大乗とか小乗とかその辺のことも言ってたんですけど……、まあ要は、

「やりたいこと探し」
自己実現
「心のよりどころとしての宗教」
を求める人たちに対して、

「ビジネスのことだけ考えた荒いソリューション」
「真剣になるあまり理性と科学的見地を投げ捨ててしまったソリューション」
「過程をショートカットしすぎたソリューション」

があまりにも多すぎるという点がヤバさを盛り上げてるのかなと思ったんですよね。今どきの若者だから? でも、江戸時代のおかげ参りだって、黄表紙だって、武士とか僧とかからは「あいつらカルトじゃね?」とか「『恋空』まじヤバいよねー」みたいに思われていたかもしれないし……。

いや違うかなあ。

ユルいものに癒されたり励まされたりしてもいいけど、せっかく「自分探し」してるんだから、もうちょっと方向性の合ってるとこの困難に立ち向かおうとか(例:Xのtoshiさんが本当に世間にあるメッセージを伝えたかったり、子ども達を救いたいならXのままでそれをしたほうが効率がいい)、探した結果「そのままの自分でいい」とか思うなよ(探せてねえ〜)とは思いますよね。

ツッコミ。

ツッコミの人間からしたら、これらの事象はボケっぱなしで気持ち悪すぎるの!
そしていちいちつっこんで疲れたプンスカ……みたいな……違うかも……(弱気)。

まあとにかく、ボケっぱなしで気持ち悪いことが沢山有る世の中じゃ〜ポイズン〜と思っている人は、一読しすっきりしてみてもいいかもしれません。

追記:あとがきのid:gotanda6さんの自分語りがほとんど、っていうかまんまと私と一緒でした。

卒擁する頃にはばっちり「就職氷河期」が到来していた。就職活動ではやはり「自分がやりたいこと」を職業にしなくてはならないというプレッシャーが働いていた。(中略)一応、あさはかにもマスコミ系を自分の「やりたいこと」と定め、有名出版社を数社受けたが、そんな真似事の就職活動では、もちろん受かるはずもなかった。その後、「やりたいこと」という「自分の気持ち」に忠実に「良いフリーター」になった(笑)

そしてそんな二人は「サイゾー」編集部ですれ違い……。配偶者が、まっとうな明るいタイプの人間というところもなんとなく似ている気がします。




自分探しが止まらない (SB新書)

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