空気読みの2000年代、ネクラ/ネアカの80年代

空気嫁とかいう人たちについての考察とかをはてぶで読むにつれて、納得というかそれは80年代におけるネクラ/ネアカという言葉と一緒な気がした。

空気が読める人が得意満面に読めない人を裁くのと同じように、ネアカな人が「暗いよね〜」とかいって普通の人を裁く。80年代(小学校の頃)は、やまだかつてないクニちゃんとか、森口とか、相原勇がイイみたいな雰囲気、、、ちょう無理して「○○なのだっ☆」とか言わないといじめられちゃう、という緊張感があったものだ。

もうちょっと時代が下ると、先の3人についてはその過剰さが目につくようになり、「うざい」という新しい概念によってざっくり斬られてしまったりもするから要注意。(あとよく考えてみれば顔がかわいくない)

どっちにしても、時代のはやり廃りがあれど、コミュニケーション能力が高い人のほうが生きやすく、その能力を生かして、自分の価値観が世の中全て!みたいな布教活動をするもんではないか?

「地頭がいい」とか、「マルチタスク」とか、「コミュニケーション能力」とか、こう、コンサルとかベンチャーが真っ先にいいそうな人材の条件とゆーのに個人的にはあまりなんか釈然としないとゆうか、それだけで人を裁くなよなーてゆーかそゆのもってる自分がきっと好きなんだろーなーてゆーか乗りたくない土俵に勝手に人を乗らせるなよなーみたいに思ってしまうま。

よくよく考えると、まあそういう人はどんな仕事でも6割くらいの完成度を持ってくるから、ベンチャーとか相手が変わりまくるコンサルっぽい仕事には向いてるんだろう。

でもそれは人の能力の一分野であって、地味だけど経理きっちりとか、性格にムラがあるけど出す提案書がすげーとか単純にいいもの作るとか、ちやほやされにくい人もしっかり評価しないと、、、ていうか、もはや誰に対する何の提案なのか分からない感じに、、、いや、調子いい人に使われちゃってる、すごく出来る人とか見ると、損ですなと肩のひとつも叩きたくなるよね。

ただ、やっぱり対ヒト(つまりは対自分)の能力が高いヒトに対しては、誰しも感情的に好意的になりやすいもの。男子界には通用しないけど、女子界では「お世話きっちり/家事能力」を仕事に持ち込むヒトも仕事の出来不出来に関わらず評価高くなる場合も。つまり、お茶をいつも入れるとか、気が利くとか、机をキレイにしてるとか。よくよく考えると、本当に業務で言うとそんなに役に立っていないんだけど、「○○さんが居てくれるおかげで、、」とかきっちり言われるタイプ。これも計算なわけではないんだろーけど、なんとなーく「暇だから気がつくだけ! こっちは髪振り乱してクレーム処理とかガンガン仕事回したりしてるのになー」みたいな不満をもつ女子社員さんもいるはず。頼んでないのにありがとうを言わなければいけない雰囲気に!みたいな、、。これも同じく、乗るつもりない土俵に乗らされてるってことか。

とか言って思うのは、自分は地道になにか技術を身につけておこう、、、という戒めと、社交界などでは空気を読みまくってずるく重宝されようということでした。