文章を書いて生きるということ

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にょわ〜〜

まずはおいたわしや。書く方と支払う方を両方やることもあるので、いろんな意味でどっちの意見も分かるんだけど。
一つ言えば、「これだけ話題性がある(もしくは実験的な)媒体だし、報酬少なくてもきっと他の仕事につながるはず」みたいなことをほのめかす媒体はダメよ。それと、「1P1万円だけど、20Pだからグロスで16万でいい?」って言われることもあって、次は絶対書かない、って思うこともあるよね。

それと、こんな値段でこれだけきちんと書ける人にオファーするなんて、サイトとしての運営自体の問題じゃないの?ってこと。
雑誌と違ってウェブはきっと(予想)ランニングコストや人手が少なくてすむだろうから、なんとなく普通ならやめちゃうよーな収益で続けちゃってって感じですか。
チープ化ってのとこゆうプロの人のギャラが下がるのはまったく違うこと。

文章ってある意味誰でも書けるけど、それを仕事に出来る人と普通の人には大きな差がある。あるべきだー。でも、だからこそ、その評価は難しいんだろうなあ。

と思うのです。「参加することに意義がある」とか「とりあえずスペースを埋める」ってのもニーズはあるんだけど。
例えばこのブログ連載が「you なんでもいいから書いちゃいなよ!!!」ってノリだったらあるいはこのギャラでもいいかぽね。

こないだ作家の逢坂さんと唯川さんの対談を起こしたものを読んだんだけど、
「読むことと書くことは呼吸のように当たり前になっていて、例えばちゃんと漢字も読めて書けて文学的素養のある人がすくなくとも小説を書く、語るに値するはずなんだけど。今って、その能力が全体的に下がっていて、新鮮なものと稚拙なものとがごっちゃになっていって、それに流されていったらやばい」
とか、彼らがどのように小説家になったかって話の中では、やっはり、文学的素養と才能と努力がずば抜けている選ばれた人だと実感したよ。(ジャンルは違えど)

あたしも今紙媒体を編集しているんだけど、前の職場はフルDTPでデザイナーも近くにいたから、原稿に対しての意識が割とゆるかった。最初の段階で推敲せずに入校して日本語むちゃくちゃ、みたいな、(そのかわり写真は厳しかったけどな!)


今は割と活字を大事にする雑誌で、DTPもほんの一部だから、本当に日本語問題や校正の入れ方が厳しい。同じ文字なのにね。あ、これがプロとしての仕事だな、って反省したの。もちろんギャラは最初から出来る範囲で納得できるものを提示しているし、その分口も出すしダメだしも厳しいけどね。
あたしも、できれば文章を書いて生活したいと思ったりしていたんだけど、やっぱり記名で好きなものを書いて暮らせるほど才能がない(し、努力も足りない)ってのは分かっている。だからこそ。


文章を書くというのは、あと、元々の頭の良さを計られているようで、「すごく書ける人はもともと頭がいい」って言われているようで嫌……っていう感情もあるのかも。
でもなんていうか、人の一つの才能なんだよね。単に。
料理できない人、お家のご飯を美味しく作れる人、修行を積んだ天才シェフの中で、誰に一万円払って料理を作ってもらいたいか?

そして真ん中の人は「500円でいいですから、食べて感想言ってほしい」っていうかもしれない。でもシェフは500円は断るよね。お金のない人や家庭料理を食べたい人は500円で食べられたら嬉しいけど、でも文化として「無理しても一万出して料理を食べたい!」って思う人もいないといけないよね。

あ、あと固定+PVでギャラを決めるってのはいいかもね。

あと関係ないですが、有名人ブログというのはまったく違う料金体系です。タレント活動だから。某ブログの女王は当初の月契約でウン十万ですから……(今はもっと上がっていると思います)