四年間ずっと

こないだ自転車で坂を下っていたら、斜め後ろ姿が知り合いに似ている人がいたので、速度を緩めてさりげなく顔を確認して、やっぱり違ったので、ちぇとか思いながらまた速度を上げて託児所へと向かった。

その知り合いは、(知り合いというよりは仲が良かった気もするけど、友達というよりは目上の人として尊敬していた感じだ)4年前の7月に台風の日にサーフィンをしにいってから帰ってこない。

自然災害の行方不明は、仕組み上生死不明と表現されるけど、ほぼ亡くなって居る確率のほうが高いモノだと思う。というか他人目線のニュースなんかじゃ疑いもなくそう思ってた。だけど改めて身近な人がそうなった場合、未だに似た人を見たら確認するまで気がすまない。習慣になってしまった。最初にそれを知ったときからずっと「記憶をなくしてアメリカの船とかに拾われているかも」という想像を捨て切れていないのです。

居なくなってから数ヶ月くらい立ったとき、その人はレコード会社に勤めていたから、近い人たちのイベントがあるライブハウスかクラブだったかにご両親が来てた。真夜中で暗くてタバコくさいフロアに戸惑いながらたたずんでいらっしゃって。あるとき少し離れたところにいる男性を見てはっとした顔で「あの人、息子に似ているね」と話しかけてきたんでした。見るとそれは今時の若者という共通点以外私たちには似ているように思えなくて、本気でなんていっていいか分からなくてその時ばかりはここが騒がしいライブハウス(かクラブ)で良かった、痛々しさが薄まるからと思ったのでした。

知り合いの私でさえ未だにはっとするくらいなんだから、ご両親は今もはっとし続けているんでしょう。でもそれが最初の頃より減っていますように。